NYCでのアート日記
私がひとさまのアートってものを初めて意識したのは、たぶん、幼稚園の頃だと思う、というのは、スケッチブックにルネマグリットのいくつかの作品の模写が残っているから。サインペンで描いた模写のもとの絵は、マグリットの展示を見に行った時に買った画集を見ながら描いたもので、どうして空の絵なのに家族というタイトルなのかなあとか、思いながら真似したのを覚えている。周りの子たちがお姫様やチューリップの絵ばかりかいているのにあきあきしてた私は古びたブーツの先に指が生えていたり、鳥の形に切り取られた青い空を描くのに夢中になっていた。だから、ずいぶんあとからデュシャンを知った時にもちっとも衝撃を受けるはずもなかった。
その後は西武美術館の会員になりスタジオ200に通い、原美術館に影響を受け、芸大にいった私だが、何故か自分はコンテンポラリーアートの業界には行かず。
行かないで、何をしてたかといえば、ただ単に自分の好きな作品を作ってただけ、なのだ。
そして、出展する場所もなかったから、原宿のホコ天で発表していた。幸いにも芸術祭などの関係者から声をかけていただき、美術館での展示もしたので、「私がやってる事はやはり美術なのかな」と思った。
で、子育てをNYでしようと思い、アートもNYでやってみよう、と、まったく無計画に、今ここに来ちゃっただけども、自分が関わるであろう美術の業界にはほとんど歩み寄る事もしてなかった。どっちかというと何故か映像関係者と関わる機会があっただけ。
2013年の春からNY芸術財団NYFAで映像、作曲家、演奏家、文学、ダンサー、詩人、振付家、美術の作家たちと関わるようになってから、なんだか自分の居場所がここにあるような感じがしてる。
私はいろんな表現者が集まっているのが好きで、だから日本では演劇等の舞台が好きだったんだけど、だけど、みんなで一つの舞台を作っても本番が始まったら舞台は役者のものだし、それは私の求めてるものとは違うと思った。それぞれがもっと独立した空間を作るような、でも混じっているような、そしてお客さんと表現者だって混じってそこでインプロ的な空間が出来ないのかな、と、考えてきたのだけど、まさに、もう、NYにはあったんじゃん。と、思った。
昨日の晩は、私が所属するNYFAのIAP2013ってグループのパフォーマンスのショーがあったんだけど、そこでの3時間はまさに、恐らく私が求めてた空間と時間に随分近いものだったと思う。
私はたぶんずっとコンテンポラリーアートや前衛と恋に落ちる事を忘れてたのだ。
しかし焼け木杭に火がついた、ってやつでしょうか、本当に私はこの場所が好きだと思う。
どうして、作家がそれぞれさまざまな表現をしてるんだろうか?
それはね、今と、これからも、みんなで地球をまわすためでしょ!
って思っちゃった。
私は、今を生きて、今を表現してる、作家が本当に好き。
私がいま、ここにいて、生きてるってことが、最高に幸せだと、思う。
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